プロフィール

目指すは「温かい心の通った政治」です。

 以下、長―い人生観です。時間があれば目を通して下さい。(前編)

 今迄の我が人生を振り返れば、長くも短い波乱の人生でした。この世に出たのは、雪深い久万高原町(旧)柳谷村でした。両親はもう亡くなりましたが、父親は郵便局員であり物心つく頃の記憶では、朝早くから膝まで埋もれる雪の中の山谷を乗越え、真っ暗になるまで手紙、葉書を届けていました。雪道で単車事後を起こし血だらけで家に帰ってきたことも思い起こします。山奥のたった一軒の家まで広告の葉書一枚でも届けるという使命は、今思えば日本の教育と日本の郵便事業の凄さであり、世界に誇れることでもあります。
 母親は、酒好きの父親に毎日叱られながらコツコツと家事をこなしておりましたが、3人の子供に学費や生活費も掛かるようになり、姉が営んでいた雑貨屋を引き継ぎ商いの道に入りました。この時に家族は生まれた地から少し山に入った、当時の統合中学校の近くに引っ越しました。生徒や近所の人が買い物に来ていただき毎日賑やかな店となり、私も店番をよくしました。私の商売の第一歩でしたでしょうか。


1964年、東京オリンピック聖火ランナーで走る

 その後、地元の中学校で自然と仲間に恵まれ、野球やバレーボール、陸上競技とスポーツ漬けで充実した日々を過ごしました。
 高校は、松山市の新田高校に入学しましたが、まず4000人近い男子学生の集団に圧倒されました。何せ出身地の柳谷村は人口5000人位でしたから。
 親元を離れての松山市での生活は、不安の日々でもありました。その時、休みの日に茫然と散歩に出掛けた先の護国神社で空手の稽古中の集団に出逢い、これだ、これで自信を無くした自分を鍛えられると直感し、早速入門しました。
 礼節と共に突き・蹴り・受けの稽古は想像以上に厳しく、入門当日から膝を曲げられないほどの痛みや体中の痛みで、思うようにならない体の状態が暫く続きました。

 しかし、この時の修業がその後の人生に大きく影響していることは間違いありません。「極意は基本にあり」今でも決して忘れない教えです。
 基本を徹底して学び、鍛錬することが上達につながる。その後、大学生時代を経て40歳位まで、自らの鍛錬と指導で過ごしましたが、社会に出てからの人生で苦難を乗越えられたのは、空手との出会いであったと確信しております。

長くなりますので、いったんここで筆を置き、次回にその後の人生について触れさせていただきます。

横山ひろゆき

TOPへ戻る

Profile横山ひろゆき

生年月日 昭和25年11月6日寅年生
出身地 愛媛県上浮穴郡久万高原町(旧:柳谷村)
血液型 B型
尊敬する人 坂本竜馬
座右の銘 極意は基本にあり
趣味・特技 早朝散歩・読書・詩吟準4段・カラオケ・空手道3段・農業資格者
家族構成 妻・長男・次男

略歴

  • 新田高等学校普通科卒
  • 松山大学経営学部卒
  • [元]松山商工会議所青年部会長
  • [現]松山大学温山会理事
  • [元]松山市議会議員(H14~H18)
  • [元]愛媛県議会議員(H19〜H26)
  • [前]衆議院議員(H26〜H29)

TOPへ戻る

自己紹介

  • 自然が遊び場だった少年時代自然が遊び場だった少年時代

    昭和25年11月6日 久万高原町(旧柳谷村)に生まれる。
    美しい山と川、新鮮な空気が当たり前にある環境で、のびのび育ちました。健康な身体や人との温かい関わり方など、人としての原点を育んだ幼少時代です。
  • 空手の師匠松本先生と共に。空手の師匠松本先生と共に。

    昭和43年 新田高等学校普通科卒
    昭和48年 松山商科大学経営学部卒
    15歳で空手を習い始め本当に多くのことを学びました。
    『極意は基本にあり』です。「挨拶の励行」「約束を守ること」「人以上の努力をすること」など、今でもすべての基本となっています。
  • 松山市議会にて質問松山市議会にて質問

    平成14年5月 松山市議会議員初当選
    松山市議会議員になる前は、一般企業勤務や会社経営経験などもありました。そのときの経験や視点を活かして、議員活動を行っています。
  • 特製「カエルンジャー」ケーキ特製「カエルンジャー」ケーキ

    平成19年5月 愛媛県議会議員初当選
    愛媛県議会議員初当選時は、事務所スタッフ有志によるサプライズで、事務所キャラクター「カエルンジャー」の特製ケーキでお祝いしてもらいました。
  • 議員バッチをつけてもらう議員バッチをつけてもらう

    平成26年11月 衆議院議員初当選
     生まれて初めての国会議事堂は、気を抜くと飲み込まれそうなぐらい、威厳と風格に満ち溢れていました。ここでの政治活動は、あまりにも責任が重く、相当の覚悟で臨まなければ納税者である国民の皆様方に申し開きができないと正直思いました。その後、正面玄関内で事務職員に議員バッチを着けていただきましたが、僅かな時間の合間にこの小さなバッチに、私を国会に送り出していただいた数多くの方々の想いが詰まっているのだと再認識したことが、今でもしっかり脳裏に焼き付いています。
     初心を忘れることなく、「弱者救済」という初めて政治を志した原点に立ち返り、国会議員としての責務を果たす覚悟でございます。
  • 平成29年11月 衆議院議員選挙にて落選
     突然の解散に伴い、2期目の選挙に臨みましたが私の力不足でした。この選挙では、広い選挙区の中での多くの方々に支援をいただきました。誠に有難うございました。
    この経験をさらに今後の人生で活かしたいと考えておりますので、引き続きのご指導、ご鞭撻の程お願い申し上げます。

TOPへ戻る